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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)6850号 判決 1963年2月08日

原告 片桐実

被告 川崎運送株式会社 外一名

主文

被告らは各自原告に対し金九〇〇、三九九円およびこれに対する昭和三六年四月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮りに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、「被告らは各自原告に対し金一、〇七七、九七九円およびこれに対する昭和三六年四月二九日より右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、請求原因としてつぎのとおり述べた。

「一、原告は昭和三四年一〇月一〇日午前一〇時三〇分頃自動二輪車を運転して東京都港区芝新橋二丁目一番地先道路を銀座方面より浜松町一丁目方面に向け進行し、同所一〇号交叉点において赤信号により停止線手前に一時停止したが、ついで信号が青に変り発車した直後、被告藤原運転の貨物自動車と衝突した。同被告は当時汐留駅方面より右自動車を運転して来て、前述交叉点において右折して銀座方面に向け進行しようとしていたものであつたが、同交叉点に差しかかつた際信号が黄であるのに、道路左側より交叉点の中心の内側を右折して進行しようとしたため、銀座方面寄り停止線に停車中の大型自動車の蔭にあつた原告の自動二輪車を発見することが遅れ、さらに右貨物自動車は積荷過重と車体不整備によりブレーキが利かなかつたため、折柄青信号により発車した原告の自動二輪車に衝突するに至つたのである。右の衝突により原告はその場に自動二輪車もろとも転倒し、左脛、腓骨開放性骨折等の重傷を負つた。本来道路交通取締法によれば、交叉点において自動車を右折させようとするものはあらかじめその前からできる限り道路の中央によつて交叉点の中心の直近の外側を徐行して回らなければならないのに、被告藤原は前述のとおり交叉点の中心の内側を徐行しないで右折し、しかも信号を無視し、また前方注視を怠つたため前記衝突事故を惹起したものである。よつて被告藤原は右のような過失によつて原告に蒙らせた財産的損害の賠償および精神的苦痛に対する慰藉料を支払う義務がある。

二、被告会社は被告藤原運転にかかる前項記載の貨物自動車を当時自己のために運行の用に供していたところ、前述のとおり右自動車の運行により原告の身体が害されたのであるから、被告会社は原告に対しこれによつて原告が蒙つた財産的および精神的の損害を賠償すべきものである。

三、原告は前述事故のためつぎのとおりの損害を蒙つた。

(一)  負傷の治療に要した費用 金二一一、〇一七円

原告は負傷直後新橋診療所において応急手当を受けた後、同日東京都済生会中央病院に入院、同年一二月一二日一旦退院し、その後も治療を続け、さらに昭和三五年九月二二日より同年一〇月一〇日まで同病院に再入院して治療を受けた。その間別紙一のとおり合計金二一一、〇一七円を支出した。

(二)  工場休業および廃業によるうべかりし利益の喪失 金五六六、九六二円

原告はミシン部品製造業を営んでいたものであるが、事故のため休業のやむなきに至り、しかも左足が不具となり営業活動が不能となつたため結局昭和三五年五月末日限り廃業し、その工場を他に賃貸した。そのため別紙二のとおり(但しカツコ内の数字を除く。)の計算によりうべかりし利益金六六六、九六二円の喪失を来した。これに対し原告が自動車損害賠償保険により受領した保険金一〇〇、〇〇〇円を充当するときは、残りは金五六六、九六二円となる。

(三)  慰藉料 金三〇〇、〇〇〇円

前述のとおり事故前原告はミシン部品製造業を営み、従業員八名を使用し相当の収入をあげ中流の生活をしていたところ、事故による負傷のため活動が不十分となり工場を閉鎖廃業し、工場の建物の賃貸による賃料収入のみにより妻(当時三十七才)、長女(同一六才)、長男(同一四才)、二男(同一二才)三男(同九才)の家族の生活を支えることとなつた。そうして工場に設備してあつた工作用機械等一一台を他に売却して療養費および生活費に充当し、その他親戚知人等より合計金三〇〇、〇〇〇円余の借財をするに至つたため、前途への希望を失い多大の精神的苦痛を蒙つた。これに対し被告会社は貨物の運送をすることを目的とする会社で被告藤原の使用主であり、本件事故は被告藤原が被告会社の事業執行中惹起したものである。よつて右の精神的苦痛に対する慰藉料は金三〇〇、〇〇〇円が相当である。

四、原告が被告らに対し、以上により各自前述(一)から(三)までの合計金一、〇七七、九七九円およびこれに対する原告が被告らに対し右金員を本訴において請求した日の翌日である昭和三六年四月二九日より支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」

被告ら訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁としてつぎのとおり述べた。

「一、原告主張事実中、原告主張の日時場所において原告の操縦する自動二輪車と被告藤原の操縦する貨物自動車と衝突し、原告が右二輪車とともにその場に倒れたこと、被告会社が右の貨物自動車を自己のために運行の用に供していたこと被告会社の営業および被告会社が被告藤原の雇主であることは認める。右の衝突の原因に関する事実および衝突が被告藤原の過失によるものであるとの事実は否認する。その余は不知。

二、被告藤原は昭和三四年一〇月一〇日午前一〇時三〇分頃石油ドラム缶二五本を積載した貨物自動車を操縦して汐留駅方面より銀座方面に向け進行し、原告主張の交叉点に差しかかり、信号が青であつたので約五キロの時速をもつて交叉点に入り右折しようとした。折柄信号が黄に変つたのでさらに徐行したが、右方銀座寄り停止線付近に浜松町方面を向き停車中の幌の装置したいすず大型自動貨車が始動し、かつその運転者から被告藤原に対しその前を横切りそのまま進行するよう合図もあつたので、同被告は右側方に十分注意しながら進行を続け交叉点の中心点付近に達しようとした。そのとき原告は右の大型自動貨車の向つて左方、道路中央にある電車軌道敷内を相当の超速度をもつて突進して来て、その操縦する自動二輪車を被告藤原の操縦する貨物自動車のフエンダーに激突させたものである。原告は右のとおり法令で禁じられている軌道敷内の通行をなし、しかも交叉点の通過にあたり先行する大型自動貨車があつて左側を通視できない場合であり、信号の変化する直前においては、他の側から横断しようとする車と衝突しないよう徐行をなし前方をよく注視する義務があるのに、これを怠り本件事故を惹起したものである。従つて本件事故につき被告藤原には過失がなく、却つて原告に過失がある。仮りに被告藤原が原告主張のように交叉点の中心の内側を回つたとしても、それは本件事故の原因ではない。また被告会社は運転者の選任および監督については意を用い、事故防止委員会を持ち運転者に相当の教育をなし、車輛の点検についても最善の努力をしている。」

原告訴訟代理人は、「被告らの抗弁事実はすべて否認する。」と述べた。(証拠省略)

理由

一、昭和三四年一〇月一〇日午前一〇時三〇分頃、東京都港区芝新橋二丁目一番地先一〇号路交叉点において、原告の運転していた自動二輪車と被告藤原の操縦していた貨物自動車とが衝突し、原告が右自動二輪車とともにその場に転倒したことは当事者間に争いなく、いずれも成立に争いのない甲第七号証の三、四、乙第三号証、証人田中一雄の証言およびこれにより成立の認められる甲第二号証、原告本人尋問の結果およびこれにより成立の認められる甲第五、六号証によれば、原告は右事故により当時約六ヶ月の安静加療を要すると認められる左脛腓骨開放性骨折および挫創、右膝関節切創を負つたこと、そして原告は事故直後新橋診療所において応急手当を受けた後、同日東京都済生会中央病院に入院し治療の上一旦同年一二月一二日退院し、自宅にて治療を続けたが、依然具合悪く更に昭和三五年九月二二日より同年一〇月一〇日まで再入院し、その間前後三回の手術をなし、現在一応は治癒したというものの、左足の爪先はしびれ左足のみで立つことは困難な状態であることが認められる。

二、よつてつぎに右の事故につき被告藤原に過失が存したか否かにつき判断する。成立に争いのない乙第二、三号証、甲第七号証の二、三、原告、被告藤原春夫各本人尋問の結果を総合すれば、つぎの事実が認められる。すなわち、被告藤原は当時被告会社の命により前示貨物自動車にオイルの入つたドラム缶を約二五本積載しこれを運転して汐留駅方面より新橋駅方面に至る道路を進行し約一〇キロの速度で前示交叉点に差しかかつた。ついで被告藤原は同交叉点で銀座方面に右折しようとした際、信号が変り同被告より見て右側方銀座寄り停止線付近に浜松町方面を向いて停車中であつたいすずの大型自動車が進行を始めたが、その運転手が被告藤原に対し早くその前方を通り過ぎるよう手で合図をしたので、被告藤原は急ぎ右大型車の前方を横切るべく他の車には十分の注意をすることもなく交叉点の中心の内側付近で右折を続行し、右大型自動車の前方を通り過ぎたが、その際右大型車の向つて左側都電軌道敷内を前進して来た原告運転の自動二輪車に気が付かず、そのまま自車の前面バンバー付近を自動二輪車左側面に打付けた。他方原告は当時自動二輪車を運転し銀座方面から浜松町方面に向う途中であつて、交通量が多かつたため電車軌道敷内を進行して前示交叉点に至り、停止信号のため停止線手前にて一時停止し、青信号に変るとともに発進したとき、原告の左側方に並んで停止していた大型自動車の直前を横切つて被告藤原運転にかかる貨物自動車が右折して来たので、よける間もなく、これと衝突するに至つた。

右認定に反する原告本人および被告藤原本人の各供述の一部は信用できない。

右認定のとおりの事実関係からすると、被告藤原としてはいすずの大型自動車の背後に対しては見透しがきかないのであるから、右折する際は法令の定めに従い交叉点の中心の直近の外側を徐行して回り、大型自動車の向う側よりその向つて左側を直進してくる車がないことを確かめながら進行すべき注意義務があると認められる。従つて同被告にはこれを怠つた過失があり、これによつて衝突事故を惹起したものといわざるをえない原告が当時電車軌道敷内を進行していたことは、被告藤原に過失の存することを何等妨げるものではない。

三、被告会社が前示の被告藤原運転にかかる貨物自動車を当時自己のために運行の用に供していたことは当事者間に争いなく右の自動車の運行により原告の身体が害されたことおよび右自動車の運転者である被告藤原がその運行に関し注意を怠らなかつたとはいえないことは右に認定のとおりである。

四、つぎに右事故により原告の蒙つた損害の額について判断する。

(一)  原告が前示の負傷をして後新橋診療所および東京都済生会中央病院において治療を受け、特に右済生会病院には前後二回入院したことは前認定のとおりであり、原告本人尋問の結果およびこれにより成立の認められる甲第五、六号証、甲第九、一〇号証によれば原告は治療のため別紙一のとおりの費用を支出したことが認められる。

(二)  証人片桐さわの証言、原告本人尋問の結果およびこれによつて成立が認められる甲第八号証の一ないし五、甲第一一号証、甲第一二号証の一ないし七二によれば、原告は事故当時その所有の家屋(東京都品川区西大崎二丁目一九八番地の九木造瓦葺二階建工場住宅)の一部を工場として工員八名を使用してミシン部品製造業を営んでいたが、原告みずからが仕事の注文取り、材料の仕入れ、販売、集金等一切を単独でやつていた関係上、原告の負傷により事業の継続が困難となり、ついに昭和三五年五月頃廃業のやむなきに至り、機械は他に売却し、工場は訴外日研産業株式会社に賃貸することとなつたことが認められる。従つて原告が事故前得ていた収益と事故後の収益との差額は、反対の事情の認められない限り結局原告が本件事故により喪失したうべかりし利益というべきである。そして前掲各証拠によれば、原告の事故一年前である昭和三三年一〇月より事故後の昭和三六年四月までの収入、事故前と事故後との比較および事故後の減少額、従つて昭和三四年一〇月より同三六年四月までのうべかりし利益の喪失は金五八九、三八二円に上ることは別表二のとおり(ただし*印の個所はカツコ内が認定額)であることが認められる。そして右の程度のうべかりし利益の喪失は被告らの予見しうべかりし範囲内と認めるのを相当とする。

(三)  証人片桐さわの証言および原告本人尋問の結果により認められる原告の当時の家族は原告のほか妻と子供四名(長女一六才、長男一四才、二男一二才、三男九才)の計六名で月約金七〇、〇〇〇円位の生活をしていたこと、前に認定した原告の従来の営業、収入および事故による負傷の程度、その治療の状況、原告が負傷の結果廃業をしなければならなかつた事情等一切ならびに当事者間に争いのない被告会社は貨物の運送を目的とする会社であり、被告藤原は被告会社に雇傭されているものであることを総合し、なお事故当時原告が電車軌道敷内を進行していたことも合せ考えると、原告が本件事故に基く負傷によつて多大の精神的苦痛を受けたことおよびこれに対する慰藉料は金二〇〇、〇〇〇円をもつて相当とすることが認められる。

五、よつて本訴請求は、被告ら各自に対し右(一)の金二一一、〇一七円、(二)の金五八九、三八二円から保険金一〇〇、〇〇〇円を差引いた金四八九、三八二円、(三)の金二〇〇、〇〇〇円の合計金九〇〇、三九九円およびこれに対する原告が右金員を本訴で請求した日の翌日であること明らかな昭和三六年四月二九日より支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分については正当としてこれを認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条第一項、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 吉岡進)

別表一

医療関係損害額

1

入院費

一〇三、三二九円

昭和三四年一〇月一日より同年一二月一二日まで東京都済生会中央病院入院料

2

入院費

一三、〇八八円

昭和三五年九月二二日より同年一〇月一〇日まで前同病院入院料

3

治療費

四〇、二〇〇円

昭和三四年一二月一五日より同三五年三月三一日まで前同病院の一瀬医師による加療費

4

施術料

五〇、〇〇〇円

昭和三五年七月一日より同三六年二月末日まで前同病院員による医療マツサージ他

5

治療費

五、〇〇〇円

昭和三四年一〇月一〇日新橋診療所治療費

6

診断書

四〇〇円

診断書四通

二一一、〇一七円

別表二

収入減による損害額

一、六六六、九六二円 昭和三四年一〇月一〇日より同三六年四月三〇日までの事業収入減による損害の総額

二、前年度比較売上月別一覧表<省略>

三、損害額の算定

(一) 昭和三四年一〇月より同三五年九月までの損害

(1) 昭和三三年一〇月一日より同三四年九月三〇日までの総売上額

合計*金二、八九四、〇四九円(二、七三九、一一九円)

(2) 右期間における利益を売上額の三割と見る

合計*金八六八、二一四円(八二一、七三五円)

(3) 昭和三四年一〇月一日より同三五年五月三一日までの総売上額

合計*金八九二、三三三円(九〇五、六四三円)

(4) 右期間内における利益を売上額の三割と見る

合計*金二六七、六九九円(二七一、六九二円)

(5) 昭和三四年六月一日より同年九月三〇日までの賃料収入

合計 金一六〇、〇〇〇円

計算

* 868,214円-(267,699円+160,000円)=440,505円

(821,735円-(271,692円+160,000円)=390,043円

(6) 昭和三四年一〇月分より同三五年九月分までの収入減による損害額

合計*金四四〇、五〇五円(三九〇、〇四三円)

(二) 昭和三五年一〇月分より同三六年四月分までの損害

(1) 事故前の過去一年間の純利益(前項(2)参照)

合計*金八六八、二一四円(八二一、七三五円)

(2) 右利益の一ヶ月平均

*金 七二、三五一円(六八、四七七円)

(3) 工場賃料一ヶ月分

金 四〇、〇〇〇円

(4) 一ヶ月分の収入減による損害

*金 三二、三五一円(二八、四七七円)

(5) 昭和三五年一〇月分より同三六年四月分までの収入減による損害額

合計金 二二六、四五七円(一九九、三三九円)

計算

*868,214円÷12=72,351円

(821,735円÷12=68,477円)

*72,351円-40,000円=32,351円

(68.477円-40.000円=28,477円)

*32,351円×7=226,457円

(28,477円×7=199,339円)

(三) 昭和三四年一〇月分より同三六年四月分までの収入減による損害額

合計*金六六六、九六二円(五八九、三八二円)

計算

*440,505円+226,457円=666,962円

(390,043円+199,339円=589,382円)

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